2人の掛け合いはテンポが良く、舞台は笑いに包まれていた。「札幌でもお笑い芸人、やれるんだ」。観客席にいた一人の男子高校生は決意した。札幌で芸人になろう。後のお笑いコンビ「トム・ブラウン」の布川ひろき(41)である。
- 「お笑い不毛の地」に降り立った男 ある番組への嫉妬で気付いた勝機
ステージに立っていたのは、吉本興業札幌事務所に所属していたタカアンドトシ(タカトシ)。2001年、札幌市で開かれたNHKの芸人発掘番組「爆笑オンエアバトル」(オンバト)の公開収録だった。タカトシは観客が審査するこの番組で、ギリギリで初オンエアを勝ち取った。
布川は高校卒業後、上京して芸人養成所に入り、お笑い芸人になることを夢見ていた。94年、札幌吉本が設立。「札幌吉本? なんぼのもんじゃい」と、いきがっていた布川だったが、タカトシの漫才を見て考えが一変する。
今もその漫才を覚えているという。
「『あなたが私にくれたもの』っていう歌のフレーズをもじる漫才だったんですけど、僕はその歌を知らなかったんです。それでも、笑った」
老若男女だれでも笑える王道漫才に衝撃を受けた。観客として審査した紙には「才能がある」と書いた。タカトシを追い、札幌吉本に入った。
30年前、寄席で漫才をする北海道出身の芸人はいなかった。いまや全国区の道産子芸人が続々とうまれている。「お笑い不毛の地」はいかにして、芸人の供給地になったのか。3回連載で考える。第2回は増える道産子芸人と、北海道に常設劇場がない不思議――。
布川はピン芸人として活動後…